し げ の 里 づ く り の 会
   ◇◇◇視察研修 ◇◇◇
                                                           歴史文化部             
  茅野市 尖石縄文考古館     富士見町 井戸尻考古館 訪問
令和7年10月5日(日)  歴史・文化部会主催 歴史研修会を開催致しました。
 今回の参加者 24名  市バス使用にて あいにくの曇り空でしたが実施することが出来ました。

 * 茅野市豊平4634-132 
尖石考古館 見学  学芸員の説明を約1時間
    昭和61年出土 平成7年国宝指定されました 
「土偶」縄文のビーナス 高さ27㎝ 重さ2.1㎏ 縄文中期
    平成12年出土 平成26年国宝指定されました 
「土偶」仮面の女神  高さ34㎝  重さ2.7㎏縄文後期 
  ・特別史跡 尖石遺跡 八ヶ岳西山麓の標高1,070mの台地に縄文中期時代の遺跡です。
   昭和5から発掘調査が行われ、多くの住居跡や土器が発掘されました。
   館内は、展示室 体験コーナー(粘土を使った体験学習) ショップコーナー・喫茶(レプリカなど土偶商品)

 
* 富士見町境7053   井戸尻考古館  見学  学芸員の説明を1時間
     県文化財保護審議会委員からの答申を受けて
「信州の特色ある縄文土器」158点長野県宝に指定さえています。
     顔面や動物装飾などがあり造形的に優れた文様・装飾を有している器種
     八ヶ岳南麓に、富士見町考古館があり、およそ5,000年前「井戸尻文化」と呼ぶ文化の中心舞台でした。
     遺跡からは、様々な形の石器や豊かな造形の土器が続々と出土、石器に刻まれた生活の断片がみられます。
     井戸尻文化の縄文土器は、食を支える生活道具を域を超えた立体的な造形や文様が特徴。
農耕論・・・縄文時代の生活は石器によて支えられていました。石器の多くは石鍬や石包丁といった農具です。
     井戸尻は縄文時代が狩猟や採集のみではなく、原始的な雑穀栽培も行っていた
農耕社会と考えられる。

尖石縄文考古館写真  下左 国宝「縄文のビーナス」粘土には、金色に輝く雲母まざっている、ハートの顔、逆ハート
              のお尻が特徴で妊娠した女性を表している。安産祈願・子孫繁栄。
            下右 仮面の女神、逆三角形の仮面をつけ、神に代わって祭りごとをする女性を表している。
 
  井戸尻考古館写真
 

  ◇視察研修◇
     支えあい部会

              更埴市民交流センター てとて訪問

 令和6年11月12日 支えあい部会主催 視察研修を開催認定NPO法人
 千曲市交流センター てとて を 訪問 地域活動について視察研修をさせていただきました。
       みんなが 「集い」「つながり」「育つ」 2002年(平成14年4月1日)設立
 もともとは、屋代の駅前でパソコン教室を開いていたのですが旧更埴市より委託され現在の場所に移り
 ・千曲市ふれあい情報館指定管理者として館の・運営委託 その後 
 ・千曲エリア情報と観光の道先案内プロジェクト
 ・千曲市キャラクター「あん姫」のグッツ制作と販売
 ・千曲市地域づくり事業「千曲市協働のまちづくりサポート千曲市魅力発信事業」委託
 ・千曲市協働事業として「あん姫の歌」制作      
 ・千曲市協働事業「市民活動交流センター開設・運営」委託            
 ・千曲市協働「女性の為のライフワーク・プロジェクト」実施    
 ・長野県条例指定・・・NPO法人に指定(2020年10月)        
 ・千曲市市民交流センターの指定管理者としてセンターの管理・運営委託・特定非営利活動法人エリアネットに改称2021年7月                                   
 ・みんなの子育てスペース・コワーキングスペース・多目的スぺ―スがあり様々な活動を援助している         
 ・リボンフラワー プチヨガ・ リズム体操 パソコン教室 スマホ娯楽部 音楽で親子のふれあい 英語の歌遊び又個室も貸し出し・・すべて有料  ですがほとんど満杯・・ 幅広く活動し収益も上げ軌道に乗りつつあるとの事でした          

  午後12時30分出発 午後17:00帰着 解散
  講座PC教室 子育て支援 他   市民交流センター てとて
 多目的ホール  説明を聞く     事務所 個人指導風景   若林会長 挨拶
    館内案内図   子育て支援 要綱    玄関ロビー 休憩所 


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史跡巡り◇◇ 
 歴史・文化部会・青少年育成部会 

  雷電の史跡をめぐる

令和6年11月10日  歴史文化・部会と青少年育成部会合同にて史跡巡りを開催 今年は、雷電為右衛門没200年に当たり、雷電ゆかりの地を訪問致しました。
 参加者33名 市バス 2台分乗にて各地を訪問
 訪問地・・・・牧家 雷電碑 ・・田中宿薬師堂仁王尊・・雷電のお墓・・雷電生家・と土俵・・・雷電雷電くるみの里資料館・・(昼食)・・小諸養蓮寺袂   午前9時集合 9時20分発 午後2時30 終了
 ふるさとの英雄 「雷電為右衛門」を探る!                                            
  雷電は、江戸時代に活躍した力士、現役時代勝率9割6分2厘                    
  負けはわずか10敗
大相撲史上最強力士                                         
  身長197㎝体重172㎞ 当時は破格の体格の持ち主 本名関 太郎吉                    
  初土俵23歳 21年現役 44歳で引退                                        

  晩年は奥さんの実家でもある、千葉県佐倉市で過ごしました。
 ①雷電碑
   顕彰碑はかつて北街道の一里塚の脇(現在の郵便局の西隣)にあり、     
   江戸時代文久元年(1861年)佐久間象山によってその経歴人物像が              
   400字の漢文で綴られています、                                            
   しかしこの碑のかけらを持っていると強くなれる 商売繁盛などのうわさが広まり       
   石碑は打ち砕かれ読めなくなり、そのため象山の妻や雷電の末裔らが発願し                   
   明治28年(1895年)再建され現在は新旧二つの碑が並んでいます。いずれも地元大石をはじめ、
   小県郡近隣近在から佐久・埴科迄広い範囲で寄付され建てられました碑の回りには名前が刻まれております。
 ②田中宿薬師仁王尊
   田中商店街一角、薬師堂境内に一対の石造仁王像があります。                             
   向かって左側 口を閉じた吽形像 右が口を開いた阿形像、                                   
   その一体が寛保2年(1742年)の「戌の満水」により流されたそうです。                            
   流されなかった仁王像に対し雷電の母親が丈夫な男の子が授かる様に願掛けをしと言い伝えがあり、           
   かなえられれば.、流された仁王像を奉納することを誓ったそうです。その後、雷電が大関就任後             
   寛政8年(1796年)吽形像を寄進したそうです。                                               
   薬師堂入口手前に戌の満水慰霊碑があります。
 ③雷電のお墓
   雷電のお墓3か所あります、①東京赤坂 報土寺 ②千葉県 佐倉市 妙覚寺 ③島根県 西光寺     
   墓碑正面には、「雷声院釈関高為輪信士」とあり
   側面に「文政8乙酉年(1825年)2月11日雲州雷電為右衛門行年59歳」   
   隣の雷電の父、半右衛門の墓 笠石に大杯を棹石には酒樽を台石には膳箱をかたどってあります。   
   雷電の父親は無類の酒好きであったため 雷電が父の供養のため建てた。雷電の人柄が現れている。
 ④雷電生家と土俵
  生家は、お墓から600mのところにあり、生家は寛政12年(1800年)雷電が大関の時50両で新築(現在の住宅は
  復元したもの)完成祝いに50両の大盤振る舞いをしたそうです、瓦葺2階建て、養蚕の為の煙り出しの穴もあります。
  雷電ゆかりの遺品の中には、雷電が松江藩松平藩主 松平治郷公から下賜された化粧まわしがあります。
  濃い臙脂色のビロード地に金糸で稲妻を図案化され 刺繍されています、地元大石区の宝 くるみの里資料館
  レプリカが展示されています。
 ⑤道の駅 雷電くるみの里 資料館
  道の駅は、創業20年になります、雷電の等身大の像があります、又雷電資料館もあります。
  化粧まわしのレプリカが展示・将軍も天覧試合に使った総漆塗りの軍配などが展示されています。
 ⑥養蓮寺(小諸市)と袂鐘
  小諸市の養蓮寺は、関家の菩提寺です、ここには雷電の寄進した.小ぶりの鐘があります、これは雷電が袂に
  入れて持って来たと言う逸話から「雷電の袂鐘」と呼ばれています、この鐘は大関昇進の報告と祖先の供養
  のため寄進したものです。
  鐘は、正面に「南無阿弥陀仏」そして「華鯨大吼響如 雷電雲霧所 披音展一見 蜀山人」、背に三方に
  載せた酒器が描かれて「雲州 願主雷電為右衛門」とあります、上部に龍が掘られ、四本柱に御幣、弓、
  そして下部に土俵が彫られている見事な物です。
 養蓮寺  袂鐘  養蓮寺 にて 集合写真    養蓮寺 鐘
 田中 仁王堂    田中 仁王堂    田中 仁王堂 戌の満水 碑
 参加者 9時集合  雷電 関家 墓地 横に酒樽    関家      墓地
 牧家 雷電顕彰碑 牧家 顕彰碑 新旧      顕彰碑


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  ♢♢♢ 視 察 研 修 ♢♢♢歴史・文化
           諏訪・岡谷方面 遺跡博物館

 令和6年8月18日(日) しげの里づくりの
会  歴史文化部会 主催
 視察研修を開催いたしました、滋野地区内回覧にて募集 29名の参加あり、多くの希望がありましたが市バス1台の為
 制限されてしまいお断りの方も出てしまいました。暑い中、岡谷・諏訪方面を視察致しました。
  午前8時 おらちのえんがわ」集合 8:20分発

1,諏訪大社 入口 左側に 雷電像があります・・・かなりハンサム で昭和の横綱を想像して作られたとの事です。

2,諏訪大社の前にあります 諏訪博物館を訪問・・学芸員に説明を 諏訪の成り立ち地層の地層構造・土器の分布等説明
  御柱について等約1時間半  移動 11時半~おぎのやにて昼食 休憩12時40分発  岡谷市移動

3、岡谷蚕糸博物館見学 学芸員による説明 明治5年当時の富岡製糸工場で使われたフランス式糸機の展示など

  現在も製糸全盛期から変わらない諏訪式緑糸機が稼働をしている宮坂製糸工場見学など実際に目に致しました。
4,諏訪市東山田 春宮近く田んぼの中にある 万治の石仏見学・・・岡本太郎も「こんなもは見た子がない」と有名
   石仏の回りを3周回ると厄払いが出来るとのことで 皆さんぐるぐる・・・
  
  15:40 春宮発・・・・17:10「えんがわ」到着  解散
・ 参加者の感想
 ・しばらく実施されていいなかったので とても有意義な一日でした来年も是非企画して欲しい。
 ・無理な行程ではなく余裕のある行程で楽しかった、来年も参加したいので近間で検討をしてください。
 ・人数的にもゆったりで 学芸員の説明も勉強になりました、又お願い


歴史・文化部会 歴史博物館視察研修 写真集
   
  8月18日(日) AM8:30 視察出発 バスの中  諏訪大社 入口左 雷電像 ハンサムです昭和の横綱を  
      
 諏訪市立博物館入口 諏訪大社の反対側にあります。  博物館入口 学芸員より説明  館内 資料
   
 諏訪地域の地層 諏訪の成り立ち      土器・ 展示
  御柱 木材   御柱祭   蝶々の 展示会場

 
   
  学芸員の館内説明    
     
     

   
  参加者集合写真   岡谷蚕糸博物館   女性仲良し
     
  岡本太郎も絶賛  石仏を三回ぐるぐる 願が叶う    参加者 石仏を回る